「やまゆり事件」19人刺殺犯の肉声と、決して語られない施設の内情

【植松聖被告・面会記】

相模原市緑区の精神障害者施設で入所者19人が刺殺され、27人がけがを負った通称「やまゆり事件」。戦後日本の事件史に刻まれるであろうこの事件を起こした施設の元職員・植松聖被告(27)に、各マスコミに先駆けて接見した。

被告は多くを語らなかったが、そのことで逆に独善的な人物像が浮かび上がった。動機や事件に至った経緯の解明は欠かせないが、被告が障害者を支える側から一転、「障害者はいなくなればいい」という動機を先鋭化させたとみられる施設の検証は不十分だ。

「どうか、ご勘弁ください」

「このたびは、私の考えと判断で殺傷し、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことを心から深くおわび申し上げます。本当に申し訳ございませんでした。この言葉に嘘偽りはございません。それは、重複障害者を育てることが、想像を超えた苦労の連続であることを知っているからです。

そして、私の行為で、多大なご迷惑をおかけしたことを心から深くおわび申し上げます。どうか、ご勘弁下さい。本当に申し訳ございませんでした」

事件が発生した2016年7月26日以降、筆者は東京新聞横浜支局の神奈川県警担当キャップとして、この事件の取材に携わっている。被告は事件直後、同県警津久井署に出頭、緊急逮捕された。通常は逮捕・送致後、20日間で検察が起訴の可否を決定するが、責任能力の有無を調べるため、殺人容疑で3回目に逮捕された16年9月以降、5カ月にわたって精神鑑定を受けるために留置されていた。

「日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります」

事件を起こす5カ月前、被告が衆院議長公邸に持参した手紙に書かれていた言葉だ。警察の取り調べには、「(この犯行は)社会の賛同を得られると思った」という趣旨の供述をしたという。これらの言動から、被告は「自分は正しい」と思い込んで行動を起こしたと推測された。

ひょっとすると、過去の劇場型犯罪のように、社会に自分の犯罪を誇示したいと考えているのか、とも思えた。会えば、滔々と事件について語るかもしれない。何より、殺人事件において、戦後最悪の死者数とされるこの事件を起こした犯罪者本人と直接、向き合えるものなら向き合ってみたい。

そんな記者としての直感と本能を頼りに、とにかく接見手続きを取ってみることにした。

被告が勾留されていた神奈川県警津久井署を訪ねたのは2月27日月曜日。起訴されたのは24日の金曜日であり、弁護士を除いて接見ができない土日を挟み、第三者のマスコミが接見を申し込むことができる「初日」だ。

午前10時過ぎ、護衛の警察官2人に連れられ、面会室のアクリル板越しに姿を現した被告はまず、「とらえ方の違いで、誤解を受けることがあるので、きちんと話したいと思ったので面会を受けさせてもらいました」と述べた後、冒頭の言葉を訥々と語った。

 

黒とグレーの迷彩柄のダウンのジャケットを着た被告。事件当時の金髪は先の方に残っているだけで、前髪は目元にかかるほど伸びていた。事件から7カ月がたったという時間を感じさせた。

冒頭の言葉を発した後、机に額がつかんばかりに頭を下げた被告。緊張し、丁寧な口調で、申し訳なさそうにひと言ひと言区切りながら話す様子は、本当に恐縮しているようにも見えた。色白で気弱な若者のようにも見える被告は、凄惨な事件を起こした凶悪犯とつり合う見かけとは言えない。それに、こんなにあっさりと記者に対して謝罪の言葉を発するとは想定しておらず、正直戸惑った。

想定外の対応に、「直接、話を聞きたいと思った。正直に話してほしい」「裁判を待つ気持ちは」といった、あいさつ変わりに繰り出そうとしていた差し障りのない質問項目は頭から飛んでしまった。

事前に用意したA4版2枚、20問の想定質問は瞬時に捨て、「『ご勘弁下さい』と言ったが、遺族の方は簡単に許してくれないと思う。それは想像できますか」と、何とか二の句を継いだ。被告はしばらくの間、じっと考え込んだが、「以上となります」と言ったため、あわてて続けた「遺族に対しての謝罪はあったが、亡くなった人に対してはどう思うのか」という問いにも答えず、「終わらせていただきます」と述べて、面会は打ち切りとなった。

この間、わずか10分足らず。制限時間の15分を使い切ることもなかった。

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