Popular Science:脳の仕組みは、まだ詳しくは解明されていません。科学者や研究者は何百年にもわたって、人間の身体でもっとも複雑な構造を持つ脳という器官のあちこちをいじり回して、これまでにわかっている部分や機能については名前をつけてきました。しかし、重大な疑問に対する明確な答えはまだ見つかっていません。たとえば、「脳はエネルギーの大半を何に費やしているのか」とか、「病気で脳内のニューロン(神経細胞)に相互作用が引き起こされる場合があるけれども、その仕組みはどうなっているのか」といった疑問は、未解決のままです。

IBMのある研究者が、そういった疑問を解決する糸口らしきものを見つけました。「脳は、安静時に何をしているか」を示す仮説モデルを提示したのです。安静時というのは、読書や考えごとはおろか、調理などもしていない場面です。モデルを提唱したIBMの神経科学者James Kozloski氏は、これを「グランド・ループ」と名づけました。

グランド・ループとは「脳が神経組織をたどり続ける現象」のこと

「脳は、何もしていなくても膨大なエネルギーを消費しています。これは、神経科学における大きな謎です」とKozloski氏は述べています。「よほどの理由がない限り、耳に入ってくるただの雑音に、あれだけの量のエネルギーを費やしたりしないはずです」。

Kozloski氏によると、脳が消費するエネルギーのうち、使い道がわかっていないのは約90%にものぼります。これはかなりの量です。何しろ、脳は身体全体のエネルギーの20%を消費しているのですから。

Kozloski氏の提唱する仮説によると、脳の中には神経組織によってさまざまな経路が作られていて、脳はそこに、休みなく信号を流してループさせているのではないかということです。その経路は町中を走る道路のようなもので、脳は絶えず、その道を繰り返し何度もたどっているのだそうです。

これらの経路は脳内の3つの領域を通り抜けています。それぞれの領域がつかさどる機能は、知覚(「今、何が起こっているか?」)、行動(「それについて、どう行動できるか?」)、辺縁系(「それは自分にとってどういった意味を持つのか?」)です。

脳には、新しい情報を取り込む領域がほかにも複数ありますが、Kozloski氏は、この経路を循環するプロセスにこそ、脳のエネルギーの大部分が使われていると考えますこの経路は同じところを循環しており、いわば「閉じたループ」です。一方、これまでの通説では、脳は外部から情報のインプットを受けて、それを身体反応というアウトプットに変換する、という線状の経路が想定されていました。

脳のエネルギーの大部分がグランド・ループで消費されるのは、初めての状況で過去の経験に基づいて予想をするため?

Kozloski氏は、自身の理論を検証するために、仮説モデルをIBMの神経組織シミュレーターにかけてみました。これは、ニューロンが脳内で「発火」する仕組みをまねた一連のアルゴリズムです。

脳の活動は、機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)によるスキャンで視覚化できますが、シミュレーターを使うと、スキャンで確認できた活動をより深く理解でき、神経疾患の研究がやりやすくなるのです。

進化論的な観点から見て、ヒトの脳にあるこの「信号のループ」は、初めての状況に置かれたときに、何が起こるのかを過去の経験に基づいて予想するために使われるメカニズムなのではないかと、Kozloski氏は述べています。

難病の研究にこの知見が応用できるかもしれない

それはさておき、この知見をすぐさま応用できる可能性があるのが、ハンチントン病(大脳中心部の神経細胞が変性するなどして不随意運動や認知力低下、情動障害などの症状を引き起こす難病)の研究です。今回、ニューロンが統合的に伝達を行う仕組みについてのモデルが構築されたおかげで、ニューロンが物理的に作用しあう様子を詳しく研究できるようになります。IBMでは、ニューロンの物理的な相互作用こそがハンチントン病に関係しているのではないかと考えています。

「心の健康、ならびに神経細胞の変性による疾患に関しては、わからないことだらけです」とKozloski氏は言います。「ハンチントン病はたった1つの遺伝子が原因なのですが、その遺伝子が神経変性を引き起こす仕組みの解明はまったく進んでいません」。

しかし、今回の仮説モデルを念頭に置いてハンチントン病を検討してみると、1つの病因遺伝子が生み出す情報が偽情報となって神経経路全体に流れてしまうと考えられます。その病因遺伝子が変異タンパク質をつくり出すものであり、さらにそのタンパク質がニューロンの信号授受の仕組みを変えるようなものであれば、連鎖反応が生まれて無数のニューロンに影響をおよぼす恐れがあります。

今後はグランド・ループが今も残っている理由を解明していく

ハンチントン病に関するこうした研究はまだ単なる推測にすぎませんが、Kozloski氏は、自身の仮説モデルによって、該当分野で脳に対する理解が新たなかたちで進んでいくのではないかと期待しています。また、次に挑む研究課題は、この経路が進化の過程でどのように選択されたかを解明することだそうです。進化生物学者であるKozloski氏は、脳がこの経路を選んだのには、何か明確な理由があったはずだと考えています。

大事なことを行っているのでなければ、はるか昔に取り除かれているはずです。

IBM RESEARCH THINKS IT'S SOLVED WHY THE BRAIN USES SO MUCH ENERGY | Popular Science

Dave Gershgorn(訳:遠藤康子/ガリレオ)

Photo by Avenue G/Flickr (CC-BY 2.0, resized from original).