幸せでいられるなら、いつも幸せでいたい。悲しみは少なければ少ないほどいい。もちろんそうですよね? 失恋した心の痛みや悲しみはもう二度と経験したくないし、そもそも「ネガティブな感情」なんて最初からなければいいのに。そう思ったことはないですか?

ポジティブ心理学者のロバート・ビスワス = ディーナー(Robert Biswas = Diener)博士は、そうは思っていません。むしろ、人間にとってネガティブな感情は必要なもの、と考えています。

一体どういうことなのでしょうか? 今回ライフハッカー[日本版]では、来日したディーナー博士に独占インタビューをする機会を得ました。

ディーナー博士は、近年注目を浴びるポジティブ心理学の研究者で「心理学界のインディ・ジョーンズ」と呼ばれている異色の人物。今回は、6月末に発売された著書『ネガティブな感情が成功を呼ぶ(英題:The Upside of your Darkside)』(草思社)の日本発売に合わせて来日しました。

心理学者には見えない、たくましい風貌の博士が語ってくれたのは、ポジティブな感情に対する問題点、ネガティブな感情の大切さ、心理学における最新の研究結果、ネガティブ感情に対するアジア人と欧米人の違いなど。この記事を読み終われば、人間の感情について深く理解できるようになっているでしょう。

「ポジティブ心理学」は幸福について研究する学問

── 心理学の中でも、「ポジティブ心理学」という分野を専門とされていますね。そもそも、ポジティブ心理学とはどのような学問なのですか?

ディーナー博士:ポジティブ心理学とは、従来の心理学が人間の生活のネガティブな面(うつ病、不安など)を研究のテーマにしていたのと違い、人間のポジティブな面(幸福、楽観主義、人間同士のつながりなど)を研究テーマとしている学問です。

ポジティブ心理学は応用科学の分野でもあり、私たち人間が幸せで充実した人生を生きていくための具体的な方法を見つけるのもテーマの1つです。

── ディーナー博士は「心理学界のインディ・ジョーンズ」と呼ばれています。なぜそのように呼ばれているのですか?

ディーナー博士:ほとんどの心理学者は、大学の研究室にこもって学生と一緒に実験や観察をすることが多いです。しかし、私の場合は、世界中のさまざまな場所に出向いて冒険的なフィールドワークをしているのでこのような名前がついたのでしょう。

例えば、スペインのコルカタでは売春宿で暮らしましたし、ケニアではマサイ族と寝食を共にしました。イスラエルでは戦争状態の地域に住みましたし、アザラシハンターの研究のために極地のグリーンランドに住んだこともあります。

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ディーナー博士は米国ポートランド州立大学でポジティブ心理学の講師を務めながら、これまで世界各地の国際会議で講演。優れた話し手として知られ、TEDにも登壇しています

── そのような場所にわざわざ訪れて研究しようと思った理由は何ですか?

ディーナー博士:アメリカ国内にいる人だけを研究対象にするのではなく、世界中の人の幸福について研究したかったからです。それぞれの国に住む人の幸福度は統計などから推測できますが、推測だけでなく、実際に現地の人と会話して研究したかったのです。

人間にとってネガティブな感情は自然なこと

── 先日日本でも出版された著書『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』では、幸福感に注目するポジティブ心理学者でありながら、ネガティブな感情の大切さを説いています。幸福を求めること、幸福感を高めることは、一見私たちの人生にとって良いことのように思いますが、なぜネガティブな感情が大切なのでしょうか?

ディーナー博士:心理学の世界では、「感情」を物事の良し悪しを判断する目安として見る考え方があります。職場で褒められたら良いこと。夜道を独りで歩かないといけないなら、悪いこと。といった感じです。

感情は温度計のようなものです。マイナス(ネガティブ)もプラス(ポジティブ)も測れる温度計です。プラスの状態にいるのは良いことですが、ときにはマイナスの状態に行ってしまうこともあります。でも、誰でもプラスとマイナス両方を計れる温度計を持っているので、マイナスに振ってしまうことは温度計(感情)にとっては正常なことなのです。

例えば、「罪悪感」はネガティブ感情ですが、何か倫理的に悪いことをしたことを知らせるサインになります。「怒り」もネガティブ感情ですが、自分が不当な扱いを受けていると気づくサインになります。

もちろん、ネガティブ感情ばかりになってしまうのは問題ですが、ネガティブ感情を無視するのはそれはそれで問題だということです。

── 先週公開されたばかりのディズニー/ピクサー映画『インサイドヘッド』は、「なぜカナシミは必要なの?」という疑問をテーマに主人公の頭の中の世界を描いたアニメーション映画です。ディーナー博士の著書にも近いテーマで、人間の感情を擬人化したキャラクターが、それぞれ協力したり、戦ったりする様子がおもしろいのですが、クライマックスになるまで「なぜカナシミは必要なのか」という疑問の答えは明かされませんでした。博士は、カナシミの役割は何だと思いますか?

ディーナー博士悲しみには、自分をいたわる役割があります。自分自身に注意を向けて内省することになるからです。「悲しみ」と聞くと、ソファに座って悲しみに暮れているような人を想像するかもしれませんが、それは悲しみという感情のほんの一部でしかないのです。

── ネガティブな感情はとても強くて、時にコントロールできないことがあります。ネガティブな感情にうまく付き合っていくにはどうしたら良いのでしょう?

ディーナー博士:ネガティブな感情には2つの種類があると考えています。1つは、日常起こる出来事に反応する感情です。例えば、「朝からこんなメールを送ってくるなんてひどい」とか「金曜日の夜に突然仕事を振ってくるなんて最低」といった感情です。

もう1つは、自分の頭の中で作り出す感情です。嫌な体験をするとそれが頭の中にストーリーとして残って、繰り返し思い出すことでネガティブに感じることがあります。こうなると、ネガティブな体験を何度も思い出して、ネガティブな感情を持ち続けることになります。この状態は健康的とは言えません。

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何かの出来事に反応してネガティブな感情が出てしまうこと、それ自体は問題ではありません。嫌なことが起こったら、ネガティブな感情が出るのが自然だからです。でも、その体験を繰り返し思い出してずっとネガティブな感情を持ち続けてしまうのが問題なのです。

ネガティブな感情をうまくコントロールするコツは、この嫌な体験を繰り返し思い出さないようにすることです。

欧米人とアジア人は「ネガティブな感情に対する考え方」が異なる

── 理想的な心理状態として、ホールネス(全体性)を目指すべきと主張されていますね。ホールネスを実現している状態とはどんな状態ですか?

ディーナー博士:ホールネス(全体性)を実現している状態とは「心理的なリソースをまんべんなく使っている状態」と言い換えることができます。車に例えて言うなら、エンジン、ハンドル、タイヤといったすべてのパーツが揃って初めて車は走り出しますよね。エンジンだけ、とか、ハンドルだけを使って車を動かせ、というのは無理な話なわけです。

「いつも幸せでいたい」と願うことは、一見良いことのように思えますが「ハンドルだけで車を動かせ」と言っているようなものです。いつも幸せでいようとして、悲しみ、怒り、罪悪感といった感情を無視しているのです。

「いつも幸せでいたい」と願う人がいる一方で、「人生は苦しい出来事の連続だ」と考える人もいます。苦痛や困難があるのが当たり前で「人生は辛いもの」というわけです。

ホールネス(全体性)を実現している人とは、この中間にいて、バランスが取れている人です。つまり、悲しみや怒りといったネガティブな感情は無視せず受け入れるものの、苦痛や困難に捉われているわけではない、ということです。

── この、「いつも幸せでいたい人」と「人生は苦しいと思っている人」の比較は、著書で触れられていた「欧米人とアジア人の比較」に似ていますね。

ディーナー博士:その通りです。ネガティブな感情に対する考え方は、アジア人と欧米人で異なります。アジア人は文化的に「人生は辛いもの」といった人生観を持っている人が多く、ネガティブな感情に対して耐性が強いのです。つまり、人生に苦痛や困難があっても乗り越えられる人が多い。でも、幸福なことを過小評価してしまう傾向があるので、最高に楽しいことがあっても幸せを感じにくいようです。

反対に、欧米人は文化的に「人生は幸せで、楽しむべきもの」といった人生観を持っている人が多く、ネガティブな感情に対する耐性が弱い。つまり、彼らにとって「悲しみ、怒り、罪悪感、といったネガティブな感情を持つのは悪いこと」なので、ネガティブな感情をできるだけ避けようとしたり、無視しようとしたりするわけです(アルコール依存症になる欧米人はアジア人より多いという統計もあります)。欧米人は、人生における幸福感を高めるのは得意ですが、人生で起きる苦痛や困難に対してアジア人ほど上手に対処できているとは言えないでしょう

私たちにとって理想の状態とは、ネガティブな感情もポジティブな感情も両方を受け入れることです。でも、そのバランスは50:50ではないので注意してください。ネガティブな感情はポジティブな感情より強力な感情なので、ネガティブ20:ポジティブ80くらいが理想です

「快適さ」は心を弱くする

── 著書の中で、「物質的な快適さに慣れてしまうと、心が弱くなってしまう」と主張されています。これはどういうことでしょうか?

ディーナー博士:私たちの生活はこれまでどんどん便利になってきました。先進国であればエアコンは当たり前のように使えるし、普及した家電のおかげで不快さが減り、快適さが増えています。でも、うつのような心の病を持つ人は増え続けています。この原因は、快適さに慣れ切ってしまったために、少しの不快にも耐えられなくなっているからだと考えています。これを「快適中毒」と呼んでいます。

快適なことは良いことで、誰でも快適な状態でいたい。でも、快適な状態が当たり前になると、ほんの少しの不快感が耐えられなくなってしまうのです。つまり、快適さが心を弱くしてしまう

── 「快適中毒」にならないためには、日々どんなことを心がけたら良いのでしょうか?

ディーナー博士日常生活で少しだけ不快なことを意識して選んでください。例えば、駅で電車を待っているとします。長い列があって15分待たないといけないという状況でも、スマホを触らないでいるとしたら...。

これは不快ですよね。こんなとき、誰でもスマホを触りたくなります。でも、たった数分でいいのです。このようなちょっとした不快感に耐えられるようになれば、人生で起こる本当の不快感にも耐えられるようになります。本当の不快感とは、10代の子どもを育てているときの苦労や、結婚生活がうまくいっていないときの辛い気持ちであるとか、仕事で壁にぶち当たった経験などです。

これは「わざと自分を痛めつけろ」と言っているわけではありません。でも、快適な生活の中に、少しだけ不快を取り入れることで、自分の心が強くなるのです

── 私は個人的に旅行が大好きなのですが、人生にほど良い不快感を取り入れるには旅行、特に海外旅行がピッタリだと思います。

ディーナー博士:全くその通りです。普段いる場所から離れるだけで、言葉が通じなかったり、道に迷ったりします。文化も慣習も違えば、不快に思うことはたくさんあるでしょう。でも、そんな経験から、学びや刺激が得られ、人間として成長できるのです。

これは、先日オーストラリアで講演したときにも話したことなのですが、私がこれまで心理学者として仕事をしてきた中で、最高だったと言える時期があります。それは、フィールドワークのためにグリーンランドで滞在していた日々でした。グリーンランドでは、自分の食料を確保するために狩りをしないといけなかったし、冷たい雨は降るし、堅い岩の上で寝ないといけなかったし、狩った鳥の内蔵まで食べないといけなかったし、本当に不快なことばかりでした。でも、この経験は今考えても人生最高の日々だったのです

もちろん、いつも不快な経験ばかりでは気が滅入ってしまうので、常に外に出ていろと言っているわけではありません。でも、時には不快な経験も必要だということです。

感情は親から教わるもの

── ネガティブな感情が大切なのは大人だけですか?それとも、子どもにとってもネガティブな感情は大切ですか?

ディーナー博士:もちろんです。まず1つわかってほしいのは、親が子どもに感情を教えている、ということ。人間の感情は生物学的なものではありません。感情とは「文化を通して学ぶもの」なのです。

図を書いて説明しましょう。

一般的なアメリカ人と日本人が示す感情を表すとこのようになります。

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アメリカ人はポジティブで高い興奮状態を好みます。喜びや熱狂といった状態です。反対に、日本人はポジティブで低い興奮状態を好みます。平穏や平和といった状態です。

でも、2つの文化で好まれる感情が異なる理由は、親が子どもに感情を教育しているからです。例えば、アメリカ人の親なら、子どもが泣いていたらきっとこんなことを言うでしょう。「大丈夫!すぐに良くなるから。元気出して!」。

これはつまり、「悲しみなんて感じるべきじゃない」と言っているのと同じなのです。

でも、反対にこんなことを言う親を想像してみてください。「悲しいんだね。今悲しいのは自然なことだから、悲しくていいんだよ」。

この2人の親が別々に子育てをしたら、子どもに大きな違いが出てくると思いませんか?

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ディーナー博士が手帳に描いた説明してくれた、アジア人と欧米人の違い

実際、今回の本を書いて私自身が影響を受けたと思えることが1つあるのですが、それは自分自身の「子育て」でした。私にはティーンエイジャーの息子が1人いるのですが、ときどきひどく反抗的になったりすることがあります。本を書く前は、「イライラするな。週末になんか楽しいことをしよう!」といった反応をしていました。でも今は、「イライラするのはわかるよ。同じ状況にいたら父さんも同じようにイライラすると思うから」と言えるようになりました。

ネガティブな感情を変えようとしたり、避けようとしたりせず、経験させてやるのです。私はこれが、子どもにとって将来かけがえのない経験になると考えています。

── モンスターペアレントにぜひ聞いてほしい話ですね。

ディーナー博士:そうですね。もちろん、彼らの言い分もわかるんです。子どもが本当に大切で、良かれと思ってしていることですから。でも、子どもには悲しんだり、苛立ったりする経験が必要なのです。それに、親がどうがんばっても、子どもにネガティブな体験は起こります。子どもに何も悪いことが起こってほしくないのなら、部屋に閉じ込めておくしかない、という話になってしまうわけです。それはやっぱり違いますよね。

── アメリカでは何か悩み事があるとき、心理学者や心理カウンセラーにカウンセリングを受けに行くのが一般的です。反対に、日本では非常に深刻な場合を除いて、カウンセラーに相談するようなことはあまりありません。この違いには、ネガティブな感情に対する認識の違いが現れているのでしょうか?

ディーナー博士:1つの理由としてはあるかもしれません。研究によれば、一般的に日本人のほうがアメリカ人よりもネガティブな感情を心理的に受け入れているようです。日本には、「面子の文化」というものがありますよね。米国ではカウンセリングを受けること自体は恥ずかしいものでもなんでもありませんが、日本ではカウンセリングを受けることに恥の意識があるのかもしれません。

アメリカ人は一般的に「人生は自分の力でコントロールできるもの」という人生観を持っている人が多いですが、アジア人は運命的なものを信じている人が多いです。これは、「占いの文化」からも読み取れますね。でも、どちらが正しいとか間違っているという問題ではなく、文化の違いなのです。

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2015年の6月末に発売されたばかりの著書『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』。幸福学研究においてネガティブな感情の重要性を説く目からうろこの考えを紹介している。

重要なのは「バランス感覚」を身につけること

── 著書では、「ネガティブ感情はモチベーションにもつながる」とおっしゃっていますが、どのような例があるのでしょうか?普通に考えたら、ネガティブな感情からモチベーションは生まれないような気がします。

ディーナー博士:ネガティブな感情は強力なモチベーションになり得ます。ポジティブでいること自体は、何も問題が起こっていない状態なので、特にそこから何かを起こそうというモチベーションにはつながりにくいのです。しかし、「恐怖」は強力なモチベーションになります。人間の生存本能に関わっている感情なので、人々の行動を瞬間的に変える力を持っています。それに比べて、ポジティブな感情は行動を伴いにくいと言えるでしょう。ただ、ポジティブな感情の中でも、「愛」は強力なモチベーションになりますが。

── 最後に、日本の読者にメッセージをお願いします。

ディーナー博士:私がこの本を通じて言いたいことはとてもシンプルです。それは、人生で起こるさまざまなことに対して「バランス感覚」を持つことです。この能力は素晴らしい能力で、学んで身につけることができます。もしあなたが、ポジティブな感情から距離を置く典型的な日本人なら、ポジティブな感情を受け入れてください。もし怒りの感情を避けてきた人なら、怒りを受け入れてください。私の著書は英語の本で、アメリカ人に向けて書かれたものですが、伝えたいメッセージは日本人に対しても同じです。ポジティブか、ネガティブか、といった議論ではなく、どちらも受け入れる「バランス感覚」を身に付けてほしいのです

(聞き手/大嶋拓人、写真/開發祐介)