その昔、完璧主義がもてはやされた時代がありました。ところが、生産的な人たちは、完璧よりも「及第点」こそベストであることを学びます。確かに、歯ブラシ選びのように、小さな決断には及第点で十分でしょう。でも、人生を左右するような選択において、完璧を目指すことはそんなに悪いことなのでしょうか?

「The Atlantic」に妥協が人生の幸福度と満足度を高めるとする記事が掲載されました。そのような人を心理学では「満足者」と呼びます。一方、常に最良の選択肢を求める人は、「追求者」と呼ばれます。追求者は、すべての決断に最大限の効果を求めるため、疲弊してしまいます。

それに、「もっといい選択肢があったのではないか?」という感覚に常にさらされています。仕事でも人間関係でも、及第点で満足できれば、ストレスが軽減されてハッピーになれるのです。でも、それも度が過ぎれば悪影響をもたらします。

「満足者」は、「追求者」がいるから存在できる

今から10年以上前、心理学者のBarry Schwartz氏は、著書『The Paradox of Choice: Why More Is Less』において、及第点で満足することで意思決定のプレッシャーが軽減されると述べました。私たちは毎日、あまりにも多くの選択に迫られているのです。

Schwartz氏は心理学ブロガーのEric Barker氏との対話において、満足者が幸せなのは、意思決定に時間を取られないし、何かを失う心配がないためだと述べています。また、満足者になるためには、追求者の友人を利用するといいそうです。

新しいラップトップが欲しければ、追求者の友人に、どのラップトップを買ったかを尋ねるのがいいでしょう。あなたは同じものを買うだけ。それは、あなたにとって100点満点ではありませんが、及第点であることは確実です。つまり、5週間悩むことなく、たった5分でそこそこの決断ができたのです。

旅先で何を食べるか迷ったら、同じ場所に訪れたことがある人に食べたお店を聞きましょう。あなたはそこに行くだけ。このように自分の判断を誰かに委ねることは、すべてとは言わないまでも、大方の決断において可能です。友人にとってベストなものは、あなたにとってベストでなくても、及第点にはなるのです。麻痺状態に陥らないためにも、アドバイスを求めて、それに従うのがいいでしょう。

つまり、満足者には追求者の存在が不可欠なのです。

いつでも「そこそこ」では、やりたいことができない

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家電選びや今日の仕事の質には妥協もいいですが、何にでもそれをしていては、やりたいことができなくなってしまいます。

たとえばバケーション。あなたはずっと、スイスアルプスでスキーをしたいと思っています。でも、スキー場はソルトレイクシティにもあって、そこそこの満足感が得られます。だったら、今年もソルトレイクシティでいっか。来年も、再来年も。そうしているうちに歳をとり、結局行きたかったところに行けずじまいなんてことも。過ぎてしまった時を後悔しても、取り戻すことはできません。

この例は極端かもしれませんが、及第点で満足していてはやりたいことができません。これは仕事や恋など、どんなことでも同じです。

及第点は成長の機会を奪う

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いつも及第点で満足していては、エキスパートになるための挑戦をしなくなってしまいます。ライターのScott H Young氏は、「そこそこで立ち止まってしまえば、目覚ましい成果を上げることはできない」と指摘しています。つまり、充足感も得られないのです。

Young氏は、完璧主義をいくつかのタイプに分けています。「良質」と「悪質」、「短期」と「長期」です。短期的な完璧主義者は、些細なことに必要以上に心を奪われてしまいます。たとえば、テストの第1問に時間をかけすぎて他に手が回らなかったり、履歴書の精査に時間をかけすぎて送るに至らなかったり。これは悪質な完璧主義です。そんな時こそ、「及第点」で満足することが必要だと言えるでしょう。

一方で、長期的なプロジェクトには完璧主義が不可欠です。何かをマスターしたければ、自分を後押して、新しいことに挑戦し続ける必要があるのです。及第点で満足していては、成長は望めません。

たとえば、プログラマーであるあなたは、この業界で起業して数年。尊敬するザッカーバーグの「完璧を目指すよりまず終わらせろ」をモットーに経営をしてきました。商品を世に出して消費者のもとに届けるという意味では、それでもいいでしょう。

しかし、それでは競合との差別化は図れません。及第点の商品を売り続けても、速さと効率は向上しても、素晴らしいものを生み出すスキルは育まれないのです。及第点は選択肢を狭める手段としてはいいのですが、可能性を狭めるようではいけません。

自分の中の「追求者」と「満足者」のバランスを

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この記事は「及第点」を悪者扱いすることが目的ではありません。大事なのはバランス。Schwartz氏はじめ多くの人が、「いつだってそこそこで十分」と言っていますが、筆者はあえて「時にはそこそこで十分」と言いたい。

誰もが何かのエキスパート。少なくとも、数多くの知識を集め、たくさんの選択肢を検討し、自分なりに最高の結論にたどりついた趣味や興味が、1つはあるでしょう。つまり、自覚はなくても、ある面ではあなたも追求者。楽しんでいるから、自分でそのことに気がつかないだけなのです。

好きなことがあるなら、「及第点」で満足しないで。私たちは、完璧主義者は何も達成できないと教え込まれてきましたが、それは真実ではありません。完璧主義者は、何も達成できないのではなく、達成できる量が少ないだけ。でも、成果の質は高く、一生それを貫いてもまったく問題ありません。何に時間と情熱をかけるのか。自分なりによく考えて、賢明な判断をしてください。

歯ブラシを買うなら、選択肢を狭めてそこそこの判断を。長年あたためてきた企画のためにツールを買うなら、じっくり時間をかけて、ベストなものを追求するのです。

Thorin Klosowski(原文/訳:堀込泰三)

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